ファンと結婚

それでも、時間の経過とともに、互いの持っているものが見えてくると、やはり本能の部分が大きな比重を持ちはじめます。とくに男性の場合、肉体が丈夫でないと、女性に放り出される恐れがたぶんにあります。私は若い人によくアドバイスするのですが、男性にとっても女性にとっても一番いいのは、自分を好いてくれている女性、自分を好いてくれている男性と結婚することだと言っています。要するに、自分のファンと結婚しなさいということです。テレビのコマーシャルで、若いOLが「課長さんの背中、見ていていいですか」というのがありましたが、これは本当にあり得ることなのです。会社の中で、あの人は仕事ができる、あの人の叱られぶりがいいなどといったことで、OLがファンになったりすることは少なくありません。ところが、その彼女がなんとか相手に気に入られようとしているのに、男性のほうはいっこうに気がつかず、あるいは気がつかないふりをして無理やり他の女性を追いかけていたりするケースがけつこう多いのです。せっかく身近なところに宝があるのに気がつかないわけです。現代の日本のように、一億総中流化、つまり一億総平等化という状況になっている中にあっては、生活水準にそれほど大きな差もなく、どんな人でも、生きようと思えば生きることができます。そうした社会においては、肉体的な力や攻撃性といった、従来は決定的な要素になっていたものが、さほど役に立たなくなってきます。ここを読んで理解したらここ→で素敵なパートナーを探しましょう。

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動物としての本能

しかも、自分をリードしてくれそうな強い人が好みだからといって、支配力も強く、攻撃的だったりすると、一緒になってからかなり苦労する場合があります。相手の男性の稼ぎが大変によくて、何不自由ない生活を保証してくれているのであれば、まあ我慢しようかということにもなりますが、男性に養ってもらっているわけでもないのに、一緒に暮らしている場合もあります。とくに、人間以外の動物では、こうしたケースが大部分です。なぜ、そんなことをするのというと、オスが餌を運んでこない場合は、「配偶行動」の結果として生まれてくる子供がどんな遺伝子を持っているかを予想し、メスとしては強い動物とくっついていたほうが強い固体を生むことができるし、その遺伝子は永続する可能性も高くなるからです。つまり、美醜はこの場合、「配偶行動」の決め手にはならず、固体のサバイバルを可能にする、肉体的な強弱が問題になるのです。このことからもわかるように、「配偶行動」の最も根本はやはり、遺伝子のサバイバルが可能かどうかという点です。というか、これは動物としての本能によるものでしょう。ところが現実生活のうえで、何が優位固体であるかについて考えるときは、さまざまなファクターが見え隠れしていますから、そう単純なものとはなりません。たとえば、「頭じゃない、心だよ」「器量じゃない、ハートだよ」と男女とも言いますが、その意味は身も蓋もないと言えば、やさしい女性、あるいはやさしい男性と結婚したほうが、少なくとも結婚生活は楽であるにちがいないということです。素敵なパートナーにで、出会っても幸せに付き合うには努力が必要です。

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個々人の価値観

こうして見てくると「配偶行動」というのは、けっして相手のステータスだけで決まるものではないということがわかります。それは、魅力という問題があるからです。そのどちらを重視するかというのが、古来、文学や映画の主題になってきたのです。肉体的な魅力をとるのか、精神的な優しさをとるのか、はたまた社会的な有利さをとるのかIそこには常にジレンマが生まれます。どれをとるかは個々人の価値観によるわけですが、同じ人間であっても、いつも価値観が同じであるとは限らないため、事はさらに面倒になります。一人の男性に二人の女性ができてしまうことがあるのはそのためです。二人の女性を同時に愛し続けることができないというので、一方を抹殺しようと考えたりすることすらあります。石川達三の小説『僕たちの失敗」、セオドア・ドライサー原作の『アメリカの悲劇」をジョージ・スティーブンスが監督して映画化した「陽のあたる場所』など、そうした男の心の葛藤をみごとに描いた作品でした。片や地位が高くて教養もある上流階級の女性に対して、女工さんのような庶民階級に属する相手が出てきて、一人の男が悩み苦しむわけです。アメリカ映画にこのタイプの作品がけつこう多いのは、アメリカでは、ステータスと個人的な魅力との乖離(かいり) が大きいからです。○攻撃的、支配的、強力的な男性はゼロサム社会では出番がない人間の「配偶行動」は、実に複雑な要素がからみあっています。互いの価値観の違い、美醜に関する尺度、頭のよし悪し、肉体的な強弱、あるいは社会的な背景、育ってきた環境、教養の違いなど、どれをもっとも重視するかは、人によって違います。ここを読んだら、これからここ→で、出会う相手と上手に駆け引きができますね。

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婿かしづき

「源氏物語」にも出てきますが、〃婿かしづき″という言葉があります。これは、青年貴族が有力者の娘のところに通って、その有力者の庇護によって立身出世しようと策し、有力貴族のほうでも将来有望な青年貴族を迎えて娘の婿にして大事にすることをいいました。一般庶民から貴族まで、世の男性は皆〃逆タマ〃を狙っていたといっても過言ではないのです。最高の地位である天皇にしても、最有力な貴族の娘をもらっていないと即位することは困難でした。この先、天皇に即位したいと思えば、最も権勢を有する貴族の娘をもらわなければならないとなると、政治情勢を正しく読んで、その娘の婿となる必要があります。実際、その当時の日本では、藤原道長系の娘と結婚した皇族たちが次々に天皇となっていったわけです。光源氏が貴族として早く昇進したのも、当時の左大臣の娘であった葵の上を正妻に迎えることができたからです。ところが彼は、そうして昇進したにもかかわらず、自分の庇護者気取りでものを言う葵の上が煙たくてしょうがありませんでした。そのため、葵の上にはあまり寄りつこうとせず、あげくの果てに、最も極端な不倫といってもいい、父親の側室(藤壷)に手を出したり、父母代わりの祖母を亡くした孤児(紫の上)を拉致してきて正妻同様にあつかったり、あるいは自分を社会的な破滅に導くような、ライバル政治家の娘(朧(おぼろ) 月夜)と密通したりしています。趣味などが合うパートナー探しなら←ここから探しましょう。

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逆タマ

田舎から出てきた身長わずか一寸(約三センチ)の男が思いをかけた姫君を巧みに連れだし、鬼退治の末、奪った打出の小槌で大きくなり姫君と結婚、最後は中納言にまで出世するというストーリーですが、これは〃逆タマ“そのものです。「三年寝太郎」(三年間寝っぱなしの男が、突然発心して都に出て、その才覚に目覚めた話)や「わらしく長者』(一本の藁(わらしぺ) 蘂を次々に高価なものと交換していき、ついに長者となり、貴族の娘と結婚する話)もやはり、〃逆タマ〃の物語です。貧しい農民が才覚を発揮して都に出て、美しいお姫さまの婿になる。そしてお姫さまを通じて貴族という地位を受け継ぐなどというのは実際にはまったく実現不可能なことなのですが、男性は常にそうした夢を持ち続けているのです。考えてみると、おとぎ話の主要なテーマはすべてこうしたパターンでつくられており、〃逆タマ〃物語はそのバリエーションにすぎません。一寸法師』の場合、背が極端に低いという器官劣等感さえ、打出の小槌という呪術的な力によって回復してしまいます。藤原氏をはじめ平安時代の貴族は皆、自分の娘を天皇の妻にすることによって、政治的権力を持とうと激しく争っていました。清少納言と紫式部が仲が悪かったのも、それぞれのバックにある中宮定子(藤原道隆の娘)と皇后・上東門院彰子(藤原道長の娘)の対立があったからにほかなりません。コミュニケーションがうまくいかない夫婦はこのように関係修復に時間と手間がかかりますので、で相性がピッタリの相手と出会えば夫婦間の問題は起こりにくいか、起こっても解決はこんなに大変ではないでしょう。

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縄張りと順位制

縄張りに踏み込んだが最後、親密さは増しますが、ときにはケンカをすることになります。縄張りと順位制が、小さな社会を強制した瞬間に、そうした問題が生じてくるのです。しかも、縄張りと順位性の問題については、男性側と女性側の意識との間にひじょうに大きな食い違いがあります。そうした観点からすると、近年、離婚が増えているのはもっともな話なのです。O〃逆タマ〃は、遠い昔から変わらぬ、男の願望昔から、女性の結婚の理想の一つとして、〃玉の輿(こし) 〃ということが言われてきました。相手の実家がお金持ちで、環境のよいところに庭付きの一戸建てを持った男性に嫁ぎたいというわけですが、たしかに今日でさえ〃玉の輿″に乗ろうと考えている女性は少なくないようです。女性がこうした結婚を望むのは、性別(ジェンダー)による役割分業が存在するからです。女性はこれまで長い間、子供を生んで育てることが最大の役割だとされてきました。そのためには、できるだけ、そうした役割を果たすのに恵まれた条件がそなわった環境のところに嫁ぎたいと思うわけです。しかし、最近話題になっているのは、男性の〃逆タマ〃狙いです。実を言うと、女性にかぎらず男性も昔から〃逆タマ〃を狙い続けてきました。〃逆タマ〃という言葉こそ最近生まれたものですが、実質的には、男性は大昔からそうしたことを常に意識していたのです。ヨ寸法師』というおとぎ話がありますが、これなどその典型でしょう。新しい出会いがで、あったらここで紹介したことを気にしてみてください。

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結婚する前

だから威張ることになります。もちろん、逆のケースもあり得ます。〃釣った魚にはエサをやらない〃という言葉があります。これはたしかに名文句で、夫婦の関係はこの一語に尽きると言ってもよいのですが、必要がなくなったら人間は投資しません。逆に言えば、必要であるかぎりは投資を続けるということです。たしかに、そうしないと相手が自分から離れていくかもしれないと思うので、相手に対して感情的、あるいは物質的な投資をするわけですが、結婚してしまうと、女性も男性も「養育行動」を解発するような行動はしなくなります。そうすると養育行動は解発されません。「あなたは結婚してから私のことを全然かまってくれない」と夫にこぼす妻は少なくありませんが、逆に、夫からすれば、「キミは結婚してからも、結婚する前のように自分に甘えてみせることがあったのか」ということになるわけです。つまり、お互いさまなのです。また、縄張りというのは、お互いに自分の領域があり、結婚する前は、お互いにそれを侵すことがありません。女性とつきあっている男性が「紳士」であることの条件は、身も蓋もない言い方ですが、女性の持っている縄張り、テリトリーを荒らさないということです。相手の家の玄関までは送って行っても、中には入らず、「おやすみなさい」とだけ言って帰ってくるのが「紳士」というわけです。これを読んでいれば、ここ→で、出会った人はあなたから離れられないかも。

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家庭の生存

これはやはり、美しいということが優位個体であり、優位個体と一緒になるほうが遺伝子のサバイバルに役立つからです。また、優しいだけの男性が家庭を代表して社会に出ていった場合、敗れてしまうことも少なくありません。それによって家庭の生存は脅かされるわけです。優しい男性を、最終的に女性が選ばないことが多いのは、そのためではないでしょうか。理想をいえば、「優しさ」と同時に「三高」を兼ね備えた男性が望ましいといわれているのですが、現実にそういう男性はめったにいません。このように「三高」の条件を満たしていることと、家庭において優しい亭主であることとの間には、女性のほうが順位制の意識が強く、マゾヒスティックに男性に対してやろうという気持ちにならないかぎり、矛盾が出てくるわけです。結婚を決める前に、この人は家庭の中に入ったら自分にどういう行動をとるだろうかということを少し予想してみることが必要なのですが、現実の話、すべての女性がそうしたシミュレーションを実行したら、ほとんどの結婚は成立しないでしょう。また、結婚すると、家族という小さな社会ができます。大小を問わず、人間の社会にはかならず縄張りと順位制があります。ですから、家族の中であっても、縄張りと順位制という問題が生じてくるのです。縄張りと順位制についての意識が強い男性は、家族の中においても自分の縄張りと順位制を強く主張します。もし、あなたが恋愛向きなら、←ここで将来の結婚に向けて経験値を増やしましょう。

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伝統的な男女の在り方

男性優位の社会で生きていくためには、女性もいやおうなしに順位制の感覚を身につけなければなりません。これが問題を複雑にしているわけです。現在のような順位制の社会、しかも競争社会においては、順位が上か下かによって、生存できるかどうかが決まってしまうところがあるからです。たとえばサラリーマンが定年を迎えた場合、定年になった時点で取締役になっているかいないかによって、定年後の生活がすっかり変わってしまうことがふつうです。取締役にさえなっていれば、定年を迎えたことによってむしろ、より時間的余裕があり、豊かな生活が保証される場合もあります。こうの取締役だったのが子会社の社長になって、送り迎えの車がついたりするケースもあるわけです。ところが、取締役にならないまま定年を迎えると、それこそ翌日から路頭に迷うことすらあります。そうなると、順位制についての意識と、攻撃性がある人間のほうが現代社会では適応しやすいということになります。その意味では、「三高」の条件をクリアーしている男性のほうが成功する可能性が高いといえるでしょう。しかし、これは「優しい」こととは対極に位置しています。たしかに、現実問題として、優しいだけの男性は究極的には異性に選ばれていないようです。女性は、「顔じゃないよ、心だよ」という建前とは裏腹に、実際の結婚相手としては容貌のいい男性を選ぶことのほうが圧倒的に多いわけです。コミュニケーションは非常に重要ですので、これからここで→出会う結婚相手とはコミュニケーションを途切れないよう気を付けましょう。

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夫婦の順位

哺乳動物の多くの社会には順位制があるのですが、その順位制において優位に立ちたいという意志があまり強くないということです。たとえば、優しい親は子供に対してあまり権威的に振る舞いません。優しい先生もまた、子供に対して権威的な対応をしません。権威的ということは、言い換えれば、順位制において上位に立とうとすることをいいます。私たちはおうおうにして、猫のほうが犬よりも優しいと感じがちです。たしかに、犬は人間に対して忠実に仕えますが、これは順位制についての意識が強いからです。ところが、猫は群居しない動物ですから、順位制についての意識がありません。動物のなかで順位制についての意識が強いのは、ニホンザルです。家でニホンザルを飼うとわかりますが、ニホンザルはだいたい一家の亭主の次に自分を位置させ、奥さんは自分より下だと思っています。奥さんのほうが威張っていれば、奥さんのほうが上で、亭主は自分より下だと思います。ですから、ニホンザルを飼うと、夫婦が不仲になることが多いという話もあります。それはともかく、この「優しさ」は、実をいうと「三高」と矛盾するものです。たしかに、先に示したような「優しい」男性と一緒に生活していれば、あまりストレスを感じないですみます。二人が互いに順位制について一致した意識を持ち、相手に屈従することに喜びを感じるのなら、それはそれでいいわけです。まず相手がいないと、何もできないので、ここ→で相手を探してください。

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